私の記憶の食べ物。子供時代の記憶がほとんど無い
昨今、健康ブームで昭和50年頃がスーパー和食で身体に良いとか
昔の和食中心が良いとか言われてる
だけど私は家庭で何を食べてたんだろう?
おふくろの味とか故郷の味とか言うけど
母親がその頃には珍しく働いていたし、父親が作ってたのもあり、酒の肴的なおかずだったんだろうな
父親は酒呑みだったし。
運動会には、お弁当を家族で食べるスタイルだった
母親はいつも巻き寿司を作っていた。それにおかずは、老舗の料亭に頼んでお重に詰めていた
決して裕福ではない。むしろ逆。
母親はお嬢様育ちで戦争で全てを失った。でもプライドは高いまま。
お弁当はほかの家族もいるから気合いを入れたんだろう
私は他の子達みたいなおにぎりとか卵焼きとかが食べたかった。
毎日の食事で覚えているのは納豆
大きな丼に納豆と玉子、ネギを入れてかき混ぜる。それを家族全員がご飯に乗せる。
多分毎日だったと思う。
それと味噌汁。
子供時代には分からなかったけど味噌は、赤味噌と白味噌と麹味噌をミックスしていたらしい。
その頃は、市場があって個人店が集まっていた
そこで買い物カゴを持って買い物に行く
サザエさんのような感じ。
お味噌も樽に山盛りになっていて、量り売りしていた。
お菓子屋さんも量り売りしていた時代。
昭和40年頃のお話。
八百屋とお肉屋、魚屋、なんかもあった。
豆腐屋は、ラッパを鳴らして売りに来た。
いつも山下清みたいな風貌の大きなおじさんがリヤカーを引いて来ていた
今で言う知的しょうがいがあったんただろう
言葉は喋れないけど
お金のやり取りとかは出来ていたみたいだ
味噌汁には豆腐とか油揚げが入っていたと思う
おやつもスナック菓子や、袋入りのものは少なくて、横綱揚げみたいなのとか、かりんとうとかを量り売りしていた。
ふかし芋とか、手作りの油っこいドーナツ(笑)これが固くて( ̄▽ ̄;)
子供時代にはお菓子って食べた記憶ないな
近所の少し裕福な家では食パンに砂糖をつけたのをおやつにしていた
高度成長期に入ったとは言え、まだまだ貧しい家庭も多かった
それでもインスタントラーメンなんかも現れて出前一丁を休日に食べた
親戚が集まる日は大量の塩おにぎりと出前一丁だった
私の家が貧乏だったのもあるけど、社宅の人達はみんなそんな感じで
冠婚葬祭はみんなで手伝ってた
法事なんかも近所で手分けして料理を作ってた
今よりずっと近所付き合いが濃厚で
遠い親戚より近くの他人って言葉通りの時代だった
父親は釣りが好きで魚を南蛮漬けにしたものもよく食べた
甘露煮とか。塩焼き。
南蛮漬けは父親の得意料理で2度揚げするのがコツと言っていた
私はそれをアレンジして鶏肉で作っていた
父親の友人とか部下が来ると私と父親の2人で料理を作っていたので
鶏肉のアレンジは好評だった
竹輪の蒲焼き風とかも思いついて作って出したりした
冷蔵庫にあるもので作るというのは中々に難しい
調味料も種類が少ないし
だしの素、醤油、味噌、味醂、塩、胡椒、唐辛子、ケチャップ、マヨネーズ、酢、ソースこれ以外は無い
今ではコンソメや中華味、焼肉のタレ、〇〇の味的な調味料や中華やアジアン、洋風の調味料で溢れているけど
ハンバーグ作ったらその焼いたフライパンに醤油とケチャップを入れて少し煮詰めて掛けたりしていた
チャーハンは塩、胡椒に醤油を少し入れて作っていた
おやつは夏には寒天でミカンの缶詰め固めたものとか
料理をし始めたのは小学生の高学年になってから