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小学生(1965年から1970年) 日々の暮らし 日常 自分史

小学生時代~夏休み

夏休みの恒例行事は、1泊の海水浴と科学館、ディズニー映画。

全て父の計画で母が同行するのは海水浴のみ。

旅行は海水浴だけで、他の場所に行ったことは無い。泊まるのは民宿。

途中で数年同じ海で民宿だったけど

民宿がホテル?みたいに巨大化していって止めたみたい

行くのは同じ県内か隣の県。

車無かったので電車で。その頃は駅のホームの売店でお弁当とプラスチックに入った熱いお茶売ってて

冷凍みかんと。

それが楽しみだった。

海では母親は、日傘をさして

ずっと砂浜に座っていた。

父と私と弟はずっと海の中で泳いでいた。父は泳ぎが上手くて時々沖まで泳いで行った

浮き輪を2つ掴んで引っ張ってくれたり

帰りは水族館へ寄る。
海女さんが水槽に潜って餌をやるのが特徴の水族館で
色々な魚を見ては大はしゃぎの私と弟
北杜夫のファンの私と父親
マンボウを見て納得したり(笑)
北杜夫は父親に勧められて読んだ
畑正憲もそう
北杜夫はユーモアたっぷりなんだけど人間としての弱さとか寂しさとか温かさとかを感じて好きな作家
池波正太郎も勧められてハマった(笑)
これは大人になってから
ちょっと大人な描写もあるしね


母親は必ず私の服を白いレースのワンピースにして、髪の毛もロングにした。

夏休み中、外で遊び暇さえあればプールに行ってたので日焼けしてて

白いレースワンピースとの対比がすごかった(笑)

痩せていたし、棒のような足と貞子のような髪の毛。とにかく真っ黒で太く硬く、量が多かったので白いレースワンピースは浮きまくり(笑)

毎年買えないから年々ミニスカートになっていく

母はかなりオシャレで枚数は少ないけど質のいい物を着ていた。センスも良かった

科学館は父が生物や宇宙が好きで、私たちも巻き込んで連れて行ってくれた。子供は無料だったし

地震体験コーナーやテレビ電話、実験コーナー色々あって楽しかった

プラネタリウムは必ず行った

夏休みなので夏の星座ばかりだけど(笑)

解説してくれる人が面白くて、私も星空が大好きになった。

電気や、気象、天体、宇宙、物理法則、

押せるスイッチは全て押す(笑)

ジオラマや新幹線の運転席。

科学館は大好きで大人になってからも面白い特別展やってると行く。娘を連れて(笑)

立て替えて大きくなって展示物も変わったし、新しい科学分野も加わった

見て触れて体験するのは本当に大事だから是非子供を連れて行って欲しいと思う。

年齢を重ねても好奇心、向上心を持つのは大切。知識を持った上で見学するとまた違った発見もある。係員の人に聞くと色々専門的な事も聞けるし

ディズニー映画は毎年観た。これも父が観たいから(笑)

今とは絵柄が違っててオリジナルストーリーではなくて白雪姫とか童話からのお話だった。

自宅近くにも小さな映画館があった。あの頃は町にたくさん映画館があった。

成人向け専門や、子供向けや男の人向け( 任侠物とか)

通学路にも看板が立ってた

自宅近くの小さな映画館で怪獣映画をよく見に行った

ゴジラ対モスラとかガメラとか

親が入り口まで連れて行って終わると迎えに来た

8人位で行っていた。いつも超満員でラッシュアワーなみの出入口だった

両親の年代はもっと映画産業が盛んだったようだ

黒澤映画や西部劇、洋画と両親はかなり映画を観ていた

両親で映画に行くと必ず母親は5分で寝るらしい(笑)

興味ない映画に無理やり付き合わせるからだろう

恋愛物は好きだったようだが、SFは全く興味が無かったので

スターウォーズやジュラシックパーク、レイダーズなんてまるで設定自体分からないらしい

私は逆に恋愛物は嫌いでSFが大好き

家族って相性あるなって思う

一緒に育って同じ時間過ごしても

仲良くなる度合いが違う

性格って環境かな?って思うけど

生まれた順だったり性別で育て方も変わるだろうし

生まれつきのもあるのかな?

まだまだ脳は未解明のことだらけ


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