母は九州出身で、子供時代は裕福なお嬢様だったらしい。
大地主で金貸しをしていたらしい。
終戦となり父が事故死してしまったので不在地主で国に土地を取られ、小作人に与えられたとか。
それで、女学校も辞めて働かないといけなくなった。
今でも、料理出来ないのは子供時代から女中さんや婆やが全てやっていたから。
父が料理が得意で私は父の手料理で育った。
両親が結婚して私が生まれた頃から炭鉱が衰退していった。
石炭から石油へと変わっていった。
最後は、給料も出なくなり食べ物や金券などになったらしい。
国の施策の失敗もあったため
就職の斡旋もあったらしく
父は、ここでも強運を発揮して公務員となる。
九州から本州へと引っ越し。
そこから、母の地獄が始まる。
父の親兄弟が付いて来た。
小姑が、3人。
舅、姑、子供2人、両親。市営住宅の4畳半二間。
そんな生活で寮のある会社に小姑が就職し、舅、姑も住み込みの仕事を見つけて
同居は三年位。
社宅に引っ越して親子4人の生活が始まった。
社宅には13年位いた。
なぜか母はここでの生活の事は口にしない。