父は、中国地方出身で、本家はそちらにまだあるらしいけど
育ったのは京都。
養子だった私の祖父が芸者遊びにはまり
財産を全て無くしたらしい。
一家は満州に渡り父はそこで学校に通い、働いていた。
戦争が激化して、父は少年兵として陸軍に入り、東南アジアへ行ったらしい。
そこで赤痢にかかり、満州へ戻って来た。そして終戦。
父の話しだから脚色も入ってるだろうけどシベリアへ送られる捕虜として捕まった。
列車でシベリアへ移動する途中、逃げ出したらしい。
連れて行かれたらシヌと感じたみたい。
満州鉄道で働いていたので中国語が話せたので、何とか逃げ切って日本に帰り着いたと。
一家は日本に帰国後中国地方で炭焼きをして、糊口を凌ぎ
石炭産業が隆盛の兆しを見せ始めて来たので、九州で石炭鉱業に就職。そこで母と知り合って結婚する事になった。
男500人で女性2人位の職場で凄い倍率を勝ち残り母と結婚(笑)
昔の写真見ると父は、かなりの男前。
祖父はロシア人っぽい顔立ちだったし。
私には一切遺伝してない。
「父の生い立ち」への2件の返信
はじめまして。
今朝、ふと立ち寄らせていただいた星のゆくえさんのブログ記事
「父の生い立ち」
偶然があまりにも重なっているので、ついコメントをしたくなりました。
わたしは、星のゆくえさんと同世代で、亡父は戦争で満州へ渡りました。そこで中国語やロシア語を習得させられ、シベリアの捕虜収容所で労働しながら、軍の通訳もしていたためにロシアでスパイと間違えられ明日こそ死刑という時にロシア側のエライ人(?)に助けられ命拾いをしたそうです。
偶然にも今日、8月9日は父の命日です。
星のゆくえさんのさんのお父様、とても素敵な方だったんでしょうね、あれほど競争率きびしいのにもかかわらず、お母さまをgetされたのですから(^_-)
勇気もある男らしい方なのでしょう、シベリアへの移動中逃げ出せるなんて ス、スゴイ!(^▽^;)
鹿之助様コメントありがとうございます。
同年代との事で、親世代は戦争で苦労をしていますね。その話を直接聞いている私たち世代は次の世代に語り継いで行かないと行けないなとも思います。
昭和も書いて残しておかないと風化していってしまいそうな気がします。
鹿之助さんのブログの方にもお邪魔させて頂きますね。
hatenaはやっていないので読者登録は出来ないのでしょうか?
記事の更新が楽しみです。