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中学生(1970年から1973年) 自分史

祖父お葬式

祖父と同居していた。
祖父と祖母は離婚していて、祖父は長男の父が祖母は5男の末っ子の叔父が引き取っていた
叔父の奥さんは年上で看護師さん。
叔父はめっちゃハンサム。ジェームス・ディーンに似ていた
奥さんは同居を我慢していて最後まで祖母を看取ってくれた。祖母が煙草を吸うのを嫌がっていた

祖父は父の兄弟姉妹から嫌われていた
だから祖父がいる我が家には来なかった

祖父はだんだんと惚けてきて、本を読んでも内容を忘れてしまうと言っていた。ティッシュを次々に出してはばら撒く
往診に来てもらった
脳軟化症と言う病名
今まで散々迷惑かけられまくった祖父
その内にトイレに行くのに介助が必要になった
母が後年、苦労させられたけど最後はトイレに付き添うのも3日くらいで亡くなったから…と言っていた
昏睡状態になってから1日位で息を引き取った

私が中学2年生の時。終業式の帰りに家に鯨幕が張り巡らされているのを見てびっくりした。
何よりびっくりしたのは親戚や近所の人がいっぱいいて、何が何だか分からなかった事
隣のおばさんが家においでと言って私と弟は隣の家でご飯を食べた
近所のおばさん達がお茶やご飯なんかを用意してくれていて、親戚はどんどん来るし
色々とあれがないこれがないとか言っていた

…今まで祖父の世話を丸投げにしてきた人達が我が物顔でお葬式を取り仕切る
今まで迷惑を被って来た私たちは蚊帳の外だ
大量の塩おにぎりが作られて行く。男連中は酒を飲み続ける…
私たちの生活空間は人で埋め尽くされた
お隣のおばさんは優しいので色々と気を使ってくれた。

お葬式は進み、出棺で火葬場へと向かう事に
ここでまたも母親が蔑ろにされた
私は孫代表で火葬場に行くことに。
父親や兄弟姉妹、配偶者(妹のご主人)までも行くのに母親は留守番となった
今までお世話して来たのは母なのに。
火葬場で棺を窯に入れて待つことに
待合室みたいな所へ。
放送で〇〇様焼き上がりましたので〇番へお越しくださいってアナウンスが流れる
父親はなんかステーキでも焼き上がるみたいだなと。
他の親族も笑っていた。
まあ亡くなってほっとしてるのが本音なんだろう
今まで散々迷惑かけられまくり、民生委員から施設に入れろって言われ続けたんだから。
それが出来なかったのは他でもない
今我が物顔で取り仕切ってる姉妹達の可哀想って責任感のない発言のせい。
私たちは嫁に行ったんだから長男が責任持ってやれってね

祖父は最後に私の名前を呼んでいたらしい
何でだろ?嫌な思いさせられてばかりだったけど、父親と喧嘩してハンストしてた祖父に自分のおやつを渡してもう辞めなよ食べなよって言ってたのは私だけどね(笑)

お葬式の後、初七日だ一周忌だ、正月だと
何かと親戚が我が家にやって来て集まるように。
孫の中で1番年上の私はいつも従兄弟達のお世話係
母はずっと座ることも出来ずに台所にいた
料理の苦手な母は子供達用にインスタントラーメンを作っていた。それとおにぎり。
出前一丁かサッポロ一番だったな

お世話はしないけど口は出す
こんな大人は吐いて捨てる程いる
潔いほどの手のひら返し(笑)

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