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小学生(1965年から1970年) 日々の暮らし 日常 自分史

通学路

学区の中でも1番遠かった分団だったので←全国共通用語?通学の班のことです。
長い道のりには色々な所があって。

大きな紡績工場があって、金網で囲われているんだけど、桜の木がずっと植えられていて凄く綺麗でした。
後年、繊維産業が斜陽産業になって、大きなショッピングセンターになったけど
桜の木はほとんど伐採されました。
学校の近くには文房具や、駄菓子を売っている小さな店があって、その近くには内科が。
ここは校医で注射下手くそで( ・᷄д・᷅ )
帰りは仲の良い友達と帰るので、寄り道を……

壊れたラブホがあって、小学生なのでそれがどういう類のホテルかは理解してなかったけど(笑)
ホテルって書いてある看板がついてて、ロープが貼ってあって荒れ放題
だから噂では心中があって潰れたとか、怖いけど入ってみたいと、いつも思いながら通っていた。
今ではクリニックになってます。
お化け屋敷と呼ばれていた建物もあって、通学路からは外れるけど少し中の小路を入って行った突き当たりにあって、誰が見つけたのかわからないけど
平屋の木造住宅で、屋根は潰れかけてるし傾いてる、苔や蔦なんかも這っていていつ潰れてもおかしくない感じ。
…ところが!人が住んでいた!
お婆さんの一人暮らし
うわぁーって、みんなで逃げた!
ごめんなさいお婆さん。
通学路には交番もあった。10円とか拾うとおまわりさんに届けた。
ニコニコして褒めてくれた。
今も同じ場所にあるけど、警ら中?いない時が多い

市会議員の事務所もビルの中に入っていた。昔は法律も緩くて選挙期間中は大人は事務所で接待?の食べ物をたべてたし、運動会とかの商品も鉛筆には市会議員の名前彫られてたし(笑)
学校の帰り道にトイレ借りたり、喉乾いたからお茶飲ませて貰ったり、やりたい放題(笑)
そのビルは今は無くなって美容院とか医者とか入ってるビルに建て変わってた
小さなお稲荷さんもあったんだけど、今は無い。
小学生の頃、近所のお姉さんが熱心にお祈りしてるのを見た
その頃は何をしてるのかな?と思ってたけど
お年頃のお姉さんだったから恋愛関係のお参りだったのかな?と今は思う

交通網が発達して、市電は無くなって地下鉄になり
地上を歩かなくなって、商店街は消えた
マンションばかりになった
中心部まで15分位で行けるから完全な住宅街になった
住んでいる人もマンション多いから入れ替わりも早い
治安は割と良いから住むには良いかもしれない
通勤時に時々小学生とすれ違う
こんにちは!と元気に挨拶してくれる
私もこんにちは!と笑顔になる
中学生も同じ
交差点には父兄とボランティアの高齢者の方が旗を持って登下校を見守る
まだまだ下町の風情は残っている





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