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小学生(1965年から1970年) 日々の暮らし 日常 自分史

役割分担

鍵っ子だった私。
家での役割りを分担するための特訓が中学年になったら始まった
それはガスに火を付けること
今と違って調理のガスは自動点火じゃなく、マッチで付ける時代
まずはマッチを擦って火を付ける。それからガスのコックを開けて、点火する
簡単な様だけどマッチを擦るのはコツがいる。そして火が着いたマッチを燃え尽きるまでに点火させないといけない。
子供には火が着いたマッチは指が燃えそうで怖い
点火の時のボッ!と言う音と一瞬大きくなる火。
かなりの勇気がいる。
まずはマッチを擦るのが難関。
斜めに勢いよく動かす。
それをマスターしたら、点火までマッチを持つ
そして点火。
何度もマッチ棒を折ってしまいながら、ひたすら練習する。
この時も父親が辛抱強く教えてくれた。
調理のガスをマスターしたら、次はお風呂。
この時代は内風呂は少なかった。
友人の家は薪で焚いていた。
水戸黄門よろしく、小さな斧で木を割って外から焚きつける
それを小学生の友人が毎日やっていた。
その家は大変裕福で中庭もあり、広い家で週に2回琴の先生がやって来て友人に教えていた
子供が家の事をやるのは当たり前で、それぞれ分担していた。

私は、風呂を沸かすのが仕事となった。

木のお風呂。ガスにマッチで火を付ける。
連日、外仕事の父親が帰って来るまでに済ませる。
父親は朝早い仕事だったので、帰って来るのは午後4時位。
暑い季節は父親のためにタオルを濡らして冷蔵庫で冷やしていた。
特製ドリンクも作っていた。牛乳、ヨーグルト、ハチミツを混ぜたもの
全部自分で考えて、行動した事
父親はすごく喜んでくれて、それが嬉しくて続けられた。
褒めることって大事だ。





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