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小学生(1965年から1970年) 日々の暮らし 日常 自分史

夏休み


夏休み。全く記憶が無い
どうやって過ごしていたんだろう?
ラジオ体操があって、毎朝行っていた
首からカード下げて近くの空き地に行っていた
この頃は、空き地や草むらなどいっぱいあって通学路は大きな道路だったから車道が4車線あって、中央は市電が走っていた
歩道も広くて車道と分離されてた
でも1本入れば土の道。
雨が降れば水たまりが出来て赤い虫がウヨウヨと湧いていた
毛虫がいると潰して遊んだ
カエルもいっぱいいて捕まえるのが楽しかった
今じゃマンションが立ち並びお店やモールなんか建ってるけど
50年前は大通り以外は田舎そのもの
ラジオ体操は、暇なので皆勤賞(笑)
自宅に電話も車も珍しい時代。時代の流れは急速に進んだなって思う

この頃は何とも思わなかったけどラジオ体操とか地域の行事ってPTAとか町内会の人とかがボランティアでやってるんだよね
親が一切そういったのに関わらなかったので大人になるまでと言うか自分が親になってわかった
自分がやってみて大変だなってわかったし、子供だけ放り込む親の存在を
えっ?
って思ったりしたから、私もそんな感じで見られてたのかな
今と違ってあの頃は専業主婦が当たり前で働いてる母親が少数派だった

母親はパートだったけど昼間はいなかった
夏休みはお金を貰って昼ごはんを食べに行っていた
買って来る時もあった
家のすぐ前に市場があってそこにあったお好み焼き屋さんに毎日のように行った
こちらの地方のお好み焼きは薄く生地を伸ばしてキャベツ、豚肉、紅しょうがなんかを乗っけてまた生地をかける
クレープみたいな薄い生地
それにソースを塗る
持ち帰りは半分に折りたたんで半月型
それをアルミホイルで包む
お好み焼きとおでん。
おでんはコンビニにあるような仕切ったおでん容器の真ん中に常滑焼の筒があって、中には甘めの味噌ダレが入っていた
串に刺さったおでんの具を真ん中の筒に入れて味噌ダレを付ける
その頃は父親は支那そばって言ってたけど現在のラーメンのこと。
和風だしだったのかな?煮干しとかの香りがして薄味の醤油味
ミスタードーナツの汁そばに似た味
それにシナチク(メンマ)とナルトが入ってた
そのお店もたまに行った
あとはパン屋さんでパンを買った
あの頃はパン屋さんは地元メーカーのフジパンとか敷島パンの店が菓子パンとお菓子を売っていた
お肉屋さんの揚げたてコロッケも買っていた
今思えば小学生が連日、2人だけでお昼を食べに来るって異様だったんだろうな
1度なんかたくあん食べたくて20円分たくあん下さいって買いに行って(笑)
噂になったらしく母親にむちゃくちゃ怒られた(^_^;)

それならお弁当作ってくれたら良かったのにと今では思う
冷蔵庫はあったから入れとけば済む話
実際父親にはお弁当毎日作ってたからついでに子供の分も作れば良かったのでは?
私が母親になってから留守にする時はお弁当とか食べられる物を用意してた
何故母はやらなかったのかは謎だ
母自身はお昼ご飯は外食だったみたい
ストレス解消だったのかもしれないし、同僚に合わせていたのかもしれない

夏休みの宿題はドリルと感想文と図工くらいで今よりずっと少なかった
でも毎年宿題が終わらなくて最後は適当に終わらせた(笑)


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