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小学生(1965年から1970年) 日々の暮らし 日常 自分史

旧校舎

引っ越した先の公立小学校に入学しました。
子供の数が多かった時代。6クラスありました。私の前の世代が団塊の世代で、私のひと回り下が第二次ベビーブームになりますから、その頃はプレハブ校舎で対応したとか聞きました。
私の入学した頃は、小学校工事中で新校舎と旧校舎がありました。
旧校舎は、学校の怪談に出てきそうな木造校舎でした。
工事中なので教室が足りずに特別教室もクラスの部屋として使われていました。
理科室とか、図工室とかをクラスルームにしてました。
引っ越した団地は、マンモス団地で社宅だったんですが4階建てで10棟ありました。独身寮もあって
一つの町って感じでした。
入学式には同じ学年のすぐ近くの部屋の女の子と行きました。
私たちが引っ越した時には部屋は埋まって無くてガラガラだったんですが、中学年になる頃には満室になりました。
転勤などでの入れ替わりも頻繁でした。

私は旧校舎になりました
今では昔の面影の欠けらも無い綺麗な学校に変わっている
体育館も出来てるし。
以前書いたようにトイレは木の扉で蓋のついたもので
昇降口、下駄箱のある所はとても広くて土間みたいな感じで
冬はブリキのバケツにコークスが入っていた。石炭ですね。
それを日直が教室に運ぶ。
達磨ストーブ?中にコークスを入れて燃やす。煙突が外へと煙を排出するようにパイプ?排気管?があった。
これは暖かかった。
濡れた手袋を回りの柵に掛けて置けばすぐ乾く。
家庭科で調理実習があった。
これが同じ年代の他の学校の人は驚くけど
まだガステーブルとか設備が建設中だったので、七輪でした(笑)
調理実習の時はうちわが必要。
炭を中に入れて下の窓みたいな所からうちわで風を送ります。

新校舎建てるために旧校舎を一棟壊したので教室が足りなくなり
特別教室もクラスの教室として使うことに。
高学年になると、理科室とか図工室とかがクラスの教室になりました。
理科室になった時は不気味でした。
人体模型や、アルコール漬けのカエルやらヘビやらがあり
なぜか黒板の横に茶室のにじり口みたいな小さな戸がありました。
興味津々な子供達、みんなで開けてみようとしましたが開かない!
あの扉は何だったんだろう
ギシギシという階段と廊下。
学校にはやはり語り継がれる怪談話ってありますね
校庭の日陰に百葉箱があって、その脇にトーテムポールがありました。卒業生の作品です。
その奥に石碑が建っていたのでしょうけど、石碑が倒れてそのままになっていました。
なぜ直してないのか?
私たちの間では、その石碑の下に初代の校長先生の死体がある。という噂がありました。
気になった私は、友人と確認しようと持ち上げてみました。
……
小学生二人で動くはずがない(笑)
今はどうなってるんでしょう
最近は、防犯上の為小学校に気軽に入ることは出来ないので確認出来ない( ̄▽ ̄;)
夏祭りのときにでも行ってみようかなぁ?



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