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小学生(1965年から1970年) 日々の暮らし 日常 自分史

給食

給食って、嫌な思い出しかない( ̄▽ ̄;)
1年生は6年生が配膳をやってくれていました
1年生だけは牛乳が温かいもので脱脂粉乳だったと思います。
給食は各学校で作っていました。
当番がやかんと寸胴鍋など運んで
ここは今も変わらず
私の頃は、パン給食でした。
食パン2枚。瓶牛乳、マーガリンが1個、主菜、副菜
たまに、ソフト麺。
よく懐かしの給食メニュー居酒屋とかレストランなんて広告見るけど
私には全く魅力がない
私の下の世代の人達が言う、揚げパンは食べたことが無い
おかずも味付けとか栄養バランスを考えて作られてたんだろうけど
めちゃくちゃ不味かった

私の住んでる市は小学校だけ給食で中学校からはお弁当
給食からの解放が本当に嬉しかった
思えば自宅の夕飯は父親が作っていたから酒の肴的なのが多くて(笑)
味噌汁、納豆、漬物、焼き魚、煮物のパターン
父親だけ1品多かった
男だし味付けは濃いめだった
出汁は鰹節を削っていた
あれってコツがいる
削って引き出しを開けると綺麗にぐるっと丸まったのがあったりゴボウのささがきみたいなのだったり(笑)
大通りの乾物屋さんに削り節を買いに行く事もあった
店先に大量の削り節を入れたケース?があって量り売りしてくれた
煮干しや昆布なんかの下ごしらえは子供の仕事
頭と腹をちぎる。昆布はハサミで切る
だしの素って便利なものは覚えているのはマルちゃんのだしの素。小袋のやつ。
チャーハンの素もあった
味噌も量り売りしてたし、お菓子屋も量り売りしてた
包み紙は新聞紙でそれを買い物カゴに入れていた
昭和40年位はサステナブルな時代だった?高度成長期になる頃だったから
消費がもてはやされるようになっていく過渡期



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