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小学生(1965年から1970年) 日々の暮らし 日常 自分史

酒屋さんとお米屋さん

サザエさんの三河屋さん、昔はどこも御用聞きに回って来て配達してもらってた
あれ、そろそろ無くなるんじゃないですか?って把握してた(笑)
うちは父親が酒飲みだったから酒屋さんでビールをケースで買ってた
日本酒も、あとは調味料とか
お米屋さんも配達だった。
こっちはお店まで行って注文して後で配達してもらう
電話も家庭に無かった時代だからね
お米屋さんはお米と餅
とジュース
ラッシーっていうのがあった

夕方になると3輪トラックで配達に来る
酒屋さんは若い人が配達していて屋号の○○さんと呼ばれていた。
配達の車が止まると子供たちが集まる
時々乗せてもらった(笑)
今じゃ大問題だね

あの頃は都会でも人の繋がりは濃厚で近所の大人がみんなで子供を育てていた
公園や路上の掃除とか孫を見るとかで、お爺さんお婆さんが常にいたし
悪いことや危ないことは叱ってくれた
付き合いが濃厚過ぎて困る事もあるけど(笑)
うちは母親が働いていたから、色々母親は言われていたと思う( ̄▽ ̄;)
当番とか無言のルール的な役割とかはやってなかったから
母親は家事が苦手なお嬢様育ちだったから家にいるより外で働く方が楽だったんだろう
パート先は色々変わって短期間で辞めることが多かった
辞める理由は歯医者に通うためという謎の理由で(笑)
嘘だけどね(笑)
宛名書きや値札付けとか内職に似た仕事が多かった
工事現場の電話番とか、暇だから編み物とかしていたらしい

今とは職種や内容も違っていた
今では機械化された仕事の多くは人がやっていた
リヤカーで紙の回収に来るおじさんがバネ測りで紙の束を計ってちり紙と交換してたり
みんな夏になるとランニングシャツにステテコと頭に手ぬぐいを巻いて汗びっしょりになって働いた
工事とかも重機とかがあまり無いから人力。
女も夏は家ではムームーみたいな服で
誰も来ないならシミーズ1枚
シミーズって今の人は知らないだろうな
スリップの木綿版で肩が紐ではなくてタンクトップみたいな太さのもの
子供用の下着みたいな感じ
これが木綿のサッカー生地みたいなので作られてる
ステテコ生地みたいな
だから涼しい
女の子はこの下に魔女の宅急便のキキが履いてたみたいなでかいズロースっていうパンツを履いてた
小学校低学年位までだけど(笑)
私より上の世代は母親なんかもシミーズを愛用してて、夏はこれで家の中にいた(笑)

今みたいに事件も多くなかったし
戦後の混乱期を抜けてちょうど景気が上向く頃になるかな?
ここから急に便利な時代へと変貌する
まだ洗濯機もなかったし、冷房なんてない
扇風機1台
冬はコタツと石油ストーブ
夏は蚊帳を吊って寝ていた
玄関も網戸にしてた
昭和40年位のお話。



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